2011年3月15日火曜日

体験談4: 事前に知識があれば…

発症年齢52才
2005年

母、父方の祖母が75才頃乳がんになり、二人とも全摘をしたにも関わらず、私は70才を過ぎてから気をつければ良いと全く心配していなかった。そのため、2003年、2004年は通知をもらったのに、マンモグラフィーを受けなかった。

2005年1月にジェネラルチェックを受けた時、ホームドクターにマンモグラムに行くようにと予約を取ってもらいました。2ヶ月後に予約が取れたのですが、しこりは自分では見つけられなかったものの、何か右側につるような違和感があり、少し気になり始めた。

マンモグラフィーを受けた翌日、電話があり、バイオプシーをする必要があると言われる。その時、悪い予感が当たったと思った。キャンセルが出て、予定より数日早くバイオプシーを受ける。採ったサンプルを主人とセントポール病院に直ぐに届けた。車の中で待っている間、渡された冷凍のグリンピースを傷口に当てて冷やす。バイオプシーの結果は、ホームドクターた休みだったので、初対面の若い女医に聞く。その医者からは「結果は乳がんです。私の言える事はファーストステージではないこと、期待してもらいたくないので、これ以上はスペシャリストから聞くように。」と言われ、唖然とする。体の横が痛かったりすると「ああ、もう転移してしまったのかな、もう手遅れで死ぬのかな」と本当に思った。

それからスペシャリストに会うまでの約一週間が一番辛かった。幸い、スペシャリストにキャンセルが出て予定よりも1週間早く会う事が出来た。予定通りだったら精神的にどうなっていたか分からない。

スペシャリストはご自分の親指を見せて、この爪(結構大きな指だったけど)くらいの大きさだから簡単なデーサージャリーと言ってくれた。その言葉を聞いた時は、暗闇から抜け出し、思わず顔がパーっとほころび、とっても嬉しくなったのを覚えている。これで胸を失くさないで済む、生きられると思った。ドクターの話を聞いている間、スマイルを隠せなかったのを覚えています。

手術はマンモグラフィーを受けてからちょうど1ヶ月後の4月14日と言われ、あまりの早さに驚いた。手術日は朝7時にVGHに行き、11時半頃から手術が始まり、麻酔から覚めて2時間後には主人に迎えに来るように看護婦が電話をしていた。日本なら最低3日は入院するのに…と思いながら、自分で傷口を消毒するためのガーゼなどが入った茶色のサンドイッチの紙袋を持って帰宅する。

2日後には近所をゆっくり散歩、4日後には洗濯もして、重いものを持ってはいけませんと言われていたのをすっかり忘れて、濡れた洗濯物が入ったタライを持ち上げてしまい、イタターと気がつき、それからは注意したが、6日後にはピアノのレッスンも始め、お料理などの家事もして、ほとんど普通の生活をしていた。その日に退院というのは却って精神的にも肉体的にもよいと実感した。

5月末から6月末まで放射線を受ける。それが終わって7月からホルモン療法を開始、5年間摂った。

放射線終了後3ヶ月が経ち、熱と咳などの肺炎の症状が現れ、肺炎の薬2種類を投与されるが効かず、レントゲンも何回も撮るが症状は悪化するばかり。ようやくスペシャリストに診てもらった時は、右肺が手遅れになるなる一歩手前だった。11日間入院し、その後ステロイド6ヶ月投与。これは放射線が肺に入る稀な症状で、確率はすくないが起こりうるとの事。もう少し早い段階で適切な治療を受けていればこれほど悪化はしなかった。自分の乳がんのことも、放射線の後遺症のことも、知識があったならと実感した。