2011年3月15日火曜日

体験談2:宣告された時の気持ちは「無」

発症年齢42才
2006年

42才になったばかりの秋に右胸にビー球位の大きさのしこりをみつけました。でも 私の身内にも周りの知り合いにも 誰一人乳がん患者はなく 自分で触って分かっていながら 私は違うとホームドクターに行くのをためらい延ばし延ばしにして 数週間が過ぎ、それでも消えないしこりを何度も何度もチェックしてインターネットで調べまくり やはりこれは乳がんだとあきらめて ホームドクターのアポを取ったのはすっかり冬になってからでした。

ホームドクターからはすぐにマモにまわすからと言われ ホスピタルのマモに行きました。しこりのある右胸を2枚 なぜか何もない左胸を6枚撮りました。結果 しこりのあった右胸は問題なく 左胸にがんらしき物があるので検査を始めると言う事でした。細胞診、針生検、外科的生検(3cm程切り細胞を取る) その結果 浸潤していたため さらにこぶし大位 切り取る。

医師から がんと宣告された時の気持ちは=無=でした。考える事を拒否していたように思います。手術をし、放射線治療して、落ち着いた時にどーっと=あぁ やっぱり私はがんなんだ=と一人で泣いたり 落ち込んだりしました。

温存手術
こぶし大取っているので かなり目で見て分かります。乳房再建術はしていません。

リンパ節郭清
転移はありませんでしたが、後遺症でしびれと感覚まひはあります。

放射線治療
がんセンターに行って放射線をうけるのですが、その時 自分が癌患者なんだと一番自覚しました。胸の真ん中と脇の下に点粒程の刺青を入れるのですが、それが結構痛くて、身体中に刺青をしている人たちはよく我慢が出来るものだと変に関心していまいました。

ホルモン療法
5年間の予定でホルモン剤を飲んで3年経ちました。最初の1年くらいは気分が悪かったり、ホットフラッシュがあったりしましたが、2年目位から共存出来るようになりました。副作用としては軽い方だと思います。


再発や転移の恐怖は常にあります。少しでも 体調が悪かったりすると、え!もしかして。という思いはあります。そんな事ない!と思っている自分といつも戦いです。現在のカナダの医療では 再発や転移を発見するのは 非常に難しいように思うので、その影響もあると思います。

体調管理は特にはしていませんが、歩く事を心掛けて 仕事の行き帰り片道35分程歩いています。どんなダイエットより効果があり 体重がかなり落ちました。ただ、情報がありすぎて -がんに良い物 悪い物― 頭がパンクしそうになりますが、適当にはじきながら 自分にあいそうなものを選んでいます。

ストレスのない生活が出来れば理想ですが、それは無理に等しく なるべく気持ちを少しでも明るく、落ち着かせるようにしています。

仕事をしていますが 会社側には自分の病気の事は言っていません。言う必要はないと思ったので、言いませんでした。今の所 影響はないです。

家族はかなりショックだった様に思います。どんなに苦しい時でも 健康だけには 自信があった私で、.熱で寝込むことさえした事がありませんでしたから子供たち(娘2人息子1人)は それぞれに悩んだようです。ただ 家族の中に乳がん患者はなく、歴史を作ってしまったことに 申し訳なく思います。

自分の親に がんの報告をするのは つらかったです。彼らの心痛を思うというべきか言わざるべきか悩みました。今まで さんざん親不孝をしてきて 更に不孝の数を増やすのは心苦しかったです。

余談ですが、最初にがんだと思った 右胸のしこりですが、がん治療が済んでふと気がついて触った時には 影も形もありませんでした。不思議です。